あまちゃん

ドラマは見ていなかったけど好きだった人にしたらいつでもあの世界観に戻れるのは嬉しいと思うし三鉄もあまちゃんを大事にしてる感じがする。

北線は観光色が強いね。スポットに来ると運転手さんが解説してくれたり停車させて撮影時間を作ってくれたり。

サービスがとても良いですな。

シンパシー



同じ辛い目に遭った仲間が励ましてくれるのは力になるね。気持ちが良く解るから。

爪痕

 

 

3.11の衝撃的な記憶は今の小学生にはリアルでない。あれから13年過ぎた。

自然の強大さを人間の無力さを突然突き付けたあの日の出来事はどうしても時間と共に薄くなってしまうのだろう。

 

だが今は一般の人でも記録を残す事が出来る。ネットでいつでも見る事が出来る。

これはとても大きい事だ。

嘗ての大津波の記録を残す為に波が届いた所に石碑を建て『ここより上に逃げろ』と教訓した先人が居たが、石碑は草に埋もれ記憶は風化し結果その経験は活かされなかった。

 

あの日の映像はCGではないかと思うほどの迫力で迫り実際多くの街を無惨に飲み込んだ。そして多くの人がそれを克明に記録していた。

その映像に映っている土地を建物を今実際に見る事が出来るのはこの上無い教材である。あれは作り物では無い。

いつ起こるか誰も知らない身近な悪夢なのだ。

宮古の街には常に忘れては成らぬと言い聞かせるようにそこここに記録を刻んでいる。

 

 

 

震災からそれ程たっていない時に二回程慰問的な落語会で宮古を訪れた。

今回約10年振りに来て思ったのは更に海への備えを固めた姿勢だった。

前回の時見た津波の力で捻れた防潮堤は、イメージで言えばちょっと厚みのあるガレージの仕切りだったが、だが今そこに在るのは難攻不落な要塞の城壁と重厚な関門。リアス特有の入り組んだ土地の手前で海を食い止める覚悟を感じる。

過去はあくまでも計算をして想定された物を基準に出来ていたが、今は3.11レベルの災害を基準に同じ波が来ても抑えるんだ、同じ悲劇を防ぐんだと言う造りに成っていた。

これはもはや土地の因縁に近いものなのかもしれない。

 

嘗ての与党が『コンクリートから人へ』と言うヒューマニズム溢れる耳当たりの良いフレーズを掲げた時があった。

1000年に一度の災害に備える必要があるのかと世に訴えた閣僚がいた。

だが現実はそんな小さな綺麗事を完膚なきまでに押し潰し黙らせた。

あの時代の判断の良し悪しは今言った所で意味ないが三陸の人は常にあの悲劇と背中合わせになりながら日々を送っている事だけは分かった。

 

人の大きさと比べると如何にあの時の波が想像を超えた高さだったかが分かる。

逢いに行く



そのマスターと行った東北の旅。

全て段取して頂いたのでただ付いて行っただけ。

「ワンタンメン食べましょう」

と、あの時行ったのがこちら。

もうね、何と言うんでしょう、純朴な土地の人柄をそのまま味にした様なシンプルで飾り気の無い素の味。

何も足さない何も引かない、の様な、中毒性のある刺激とかが無いのに夢中で食べて気が付けば丼が空になってる不思議なラーメン。

面も素麺の位の細さで啜りながら飲み込んでいく感覚。

そして名物のワンタン。

字にすると雲を呑むか。

箸で摘まもうとするとスープに溶けてしまうから金魚すくいの様にレンゲでそっと捕まえて食べる。それでも歯に当てずともベロと上顎だけで十分消えていくので成る程雲を呑む感じ。初めてパステルのプリンを食べた時みたいな衝撃。

質素で小さい店だけど健在で良かった。

また逢いに行きたい。

数%の奇跡


あの震災から何年か後にお世話になってるバーのマスターやお客さんと旅した時に、マスターの現地の知り合いに会いに宮古で車を借りてここへ来た。

読んでは無かったが井上ひさしの小説の舞台だと言うことは知っていたけど、それが無ければただのうら寂しい無人駅でしかなかった。

それに加えて震災で山田線は線路を波が覆い甚大な被害が出て数年運転見合わせのまま、吉里吉里駅はレールが錆び雑草が延び放題で、かと言って復旧させた所で利用者数はたかが知れてるし寧ろJR的にはこれを切っ掛けに廃線させるだろうと妙に感傷的になりながら諦めていた。

再び列車が駆け抜ける雰囲気はあの頃全く無かったのだ。


それがだ、三陸鉄道の掲げる三鉄の復興が三陸の復興と言う強い意志の元、廃線と思われていた山田線の一部を三鉄が譲り受け今まで二つに分かれていた『北リアス線』『南リアス線』を1本に繋げ運行を再開させた。

東北人の寡黙ではあるが信念は揺るがない逞しさを犇々と感じた喜ばしい一件であった。


残念だったのはそれが当に2020年の春の出来事で、本来なら通しで乗りたかったファンも多かったろうに件の忌々しい流行り病の性で折角開通したお祭りムードも冷水を浴びせられた如く掻き消されてしまった事が悔やまれる。


あれから数年経ってしまったがあの時絶望していた風景に色が差し軽やかな列車の走る音が戻って来たことは奇跡、だと個人的に思っている。


Touch and Go!!

父方の祖父は釜石から出てきたそうな。

だがおいらは釜石へは一度も行った事がなかった。

今回初めてそのルーツに触れるかと思いきや乗り換え時間が6分。

思いを馳せる暇もない。


駅で懐かしいデザインのジュースを発見。

復刻版。

あったあった少し厚みのある円筒のスチール缶でさ。

あの頃はジュースと言えば100円だったよね。

暇潰しには丁度良い

こう言う時の為の雑俳。

景色も良いけど表ばかり見てられない。

目が回るからね。

頭の中身の方も回るようにします。

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。

旅のスタイルは何たるか

釜石線に乗り換える。

ローカル線なりにビュンビュン飛ばす快速(多分特急にすると需要が無い)と丁度時間が合ったので助かる。

来たのが110系と言うJR東日本ではオーソドックスなローカル気動車なのだが内部を改装していてまあ素敵なこと。

もう一度言いますが快速ですから特別料金取らないのにリクライニングする転換クロスシート。特急仕様じゃ無いですか!

旅はこうでなくちゃ行けませんよ。

窓を背にして知らないおじさんと三時間見つめ合う様な椅子じゃ弁当も不味くなる。

こう言うのを求めてるのよ。

三輌のうち二輌が自由席だけど、全席指定にしても良いんじゃない?

出すよ500円。

ただローカル過ぎるのか東京から指定券売機で席押さえようとしたら全く探し出せなかった。

当日座るより指定券取る方が大変と言う不思議な列車。


イーハトーブ


盛岡のひとつ手で降りてみる。

新花巻。

乗り換えの隙間を縫って朝飯。

今は駅の立ち食い蕎麦屋が減って不便なところだけど新花巻にはありましたよ、ありがてぇ。

大体は天玉一択。

汁は色が濃い割に甘め。蕎麦は腰のある煮麺の様な歯応え。

急ぐ時は手強いねこりゃ。

器はわんこそばを思わせる漆器調。

良く見たら賢治そばってのがあった。

ご当地メニューに違いない。

少しそそられるなあ。

また次回にでも。

解りにくい、って言うか解らないだろうけど、仙台。

仙台。

早いなあ。三時間で仙台。

いつもの各駅だったらやっと黒磯越えて福島入った頃かも。


宮城県に入った途端に雪景色。

この先どうなる。